2015/01/13

10年間で一体何が出来たのか?・1




















「ある日突然、〜。」

みたいなお話をを伺うことは
実は結構あります。

 *

わたしもそういう経験があるせいなのか、
違うのか謎ですが。

クリスタルを扱っている人達の中では、

「ある日突然、〜」という
話の始まり方はそんなに珍しくありません。

 *

確かに…
わたしもある日突然ではありました。

交通事故の日に、
何故かローズクォーツのブレスレットをしていたこと。

全損事故なのに、
怪我が殆どなかったこと。

色変化したローズクォーツに感じたこと。

それがスタートでした。
2003年終わりの話です。

 *

クリスタルのことを調べていたら、

オーラソーマを見つけてしまって、
これまたどうしようもなく惹かれたこと。

コンサルテーションを受けた時に感じた、
あ、これすごくいいぞ!という感触。

面白過ぎて
「老後やろうかな〜」なんて思いつつ。

ふと冷静になって考えました。

ちょっと待って!
老後って何時のこと?!

そんなの来るか来ないかも判らないのに、

こんなに今面白いことを
放置し続ける意味って本当にあるの?!

と。

そう自分に問いかけて出た答えは、
「今すぐ始めよう」だったのですよね。

それが2004年でした。

 *

2005年には、

プラクティショナー登録をして
コンサルテーションをさせていただいていたので、

多分当時の最速だったように思います。

色彩心理の世界は、

わたしが美術を勉強してきた背景からも
意味が通るもので、

色彩の構造や、心理効果などなど
始めたら面白くて止まらなくて(笑)。

周辺書籍も一斉に洗い出して、
相当勉強しました。

他の系統のカラーセラピーなども
本を読むだけじゃなく勉強にも行って、

先生からは、

「あなたはそれ以上何が知りたいの?」と
言われたこともあります。

色彩心理だけのおしゃべりで
お仕事をしていたこともあるので、

相当の知識量だったと思います。

 *

決定的にわたしの人生がシフトしたのは、
2005年のRahasyaとの出会いでした。

カウンセリングスキルの
勉強のために通ったコース中に、

自分自身に…異変が起ったのでした。

 *

10年前というのは、

今程国内に情報もなければ、
頼れる場所も少なくて、

結構大変でした。

 *

イギリス帰りのお友達から

スピリチュアル・エマージェンシー
対処法の文献から

該当部分をコピーしてもらったり。
読んでも難解過ぎる翻訳本しかなかったり。

感覚が一気にシフトしてしまって、

今自分がこうして
生きているのが不思議な気さえします。

状況がつかめないし、
安心して話せる理解者がいない。

多少話せる人は英語だけ。

わたしの英語は超適当なので、
ニュアンスまでは理解が難しい。

今思うと当時は、
相当なストレスを抱えていたと思います(笑)。

 *

そんな中で

自分の生活と、
ペットの心臓病のケアと、お仕事。

もう…めちゃくちゃでした(笑)。

 *

ただ、同時に
当時を知っている方からも言われたのですが

「さやさん、あの頃
使命感もってやってる感じだった」

という状態でした。

何かに突き動かされたかのように、

「ヒーリング」
ということについて日々考え、

実行していたと思います。

 *

人生の中に集めたものが
どんどん無くなっていく10年でもありました。

今思うと当時のわたしは、

意識優位が
異常値だったんじゃないかなと思うのです。

当時それは初めての体験で、

かつサポートにしっかり入ってもらえる相手が
全く見つけられなくて、

意識状態が不安定過ぎました。

 *

元気になれば絶対に大丈夫だから!
今はケアをやればいい。

と腹を括ったのに、

当時目につくもの何をやっても、
根本的な改善はしなかったです。

一方で、

北は北海道から、
南は沖縄から、

場所を問わず「あなたの話が聴きたい」と
人がやってくるような状況にもなっていました。

 *

そうして2007年には、

ペットの死を契機に

3つ位ショックなことが続き、
心が壊れるようなカタチで入院になりました。

スピリチュアル・エマージェンシーとして
語られていることが、

病気であるという話になり。

現実感覚が「多重化」してしまったのは
ここの体験が大きかったと思います。

 *

ひとつは、わたしを聖人のように扱うし、
ひとつは、わたしを病人のように扱う。

でも起っていることはひとつで、
わたしの意識の不安定感と過敏さがあるだけ。

外側で
2つの出来事が起っている。

ということは、
両方とも現実ではなくて、

「捉え方の違い」である可能性がある。

というのをこの時に思っています。

 *

退院後は、

2004年から自分の中で
「わくわくすることをやろう!」と始めた

Holly heal の
アクセサリー作りの再開をしながら、

「捉え方の違い」ではなくて、
その根本にある「現実」ってどれなんだろう?

とうことをひたすら見つめていたように思います。

同時に。

入院中にも
カードを使ったセッションをやったり、

退院直後から人の話を聴いて
サポートに入ることもしていたので…。

やっぱり自分の中に

ヒーリングということへの
衝動みたいなものはあったのだと思います。

 *

自分のケアをすることは、
ヒーリングの担い手にとって最も重要なこと。

それは当初より思っていました。

 *

とはいえ、

極端に言うと「完全に癒された人」は
結構概念的なものだよね?

現実に本当に居るのかしら?
というのはありました。

わたしは一時ヒーラーと言う肩書きで
お仕事もさせていただいたのだけど、

その言葉だけで、

どこかに精神的な
依存関係を生みやすく感じましたし、

これは何だか変だなあ…という
気持ちが拭えなかったのです。

(つづく)


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