2015/01/14
10年間で一体何が出来たのか?・2
(昨日からのつづき)
Holly heal を再開した当初は、
わたしがそれまでに感じていた
クリスタルを、
どう言葉として表現するか?
も相当悩みました。
*
2008年当初のDiary 記事を読むと、
その葛藤が見えているので少し笑えます(笑)。
わたしが
パワーストーンという言葉を
避けたのには背景があります。
*
当時は
上手く言葉にならなかったのですが、
わたしが
クリスタルに感じていることは、
持っていれば安心とか、
そういうこととは
根本的に違うなあ…と思ったこと。
もっと本当に
共通認識や理解出来るレベルで
機能として
心に使えるものなんだよなあ…と
思っていたことがあるからです。
*
日本における
2度のパワーストーン・ブームを過ぎた頃です。
東京では電車に乗れば、
誰かが必ず
ストーンブレスをしているような状況で、
環境の変化も
大きかったと同時に、
持っていればお金持ち!
モテモテ!
みたいな広告も始まって…(笑)、
クリスタルへの依存的な扱いも
一気に増えたと感じる時期でした。
*
この頃から
クリスタルのワークショップを
再開させていただくようになったのは、
キッカケをくださった
オーガナイザーの
みなさまからのご助力と、
わたし自身の
「クリスタルは、
自分が意図して使うものなんだけどな…」という
漠然とした感覚から
来たものだったのではないか?
と思います。
*
この頃の葛藤はもうひとつありました。
Holly heal の
2007年再開時には、
オーダーしてくださった方の
お名前を感じて、
わたしが
インスピレーションでクリスタルをお選びする、
というスタイルだけで
スタートしていることでした。
*
これは、
その人に合うものを「わたしが感じて」、
勝手にお選びしているものでした。
お客さまからは
「プレゼントが届くようで楽しい!」と
お話をいただいていたのですが、
2010年にワークショップの数が増えた頃には、
相当な葛藤になっていました。
ワークショップでは、
「クリスタルは自分で選ぶことが出来るし、
それを信じてね、だってとっても面白いんだよ!」
ということが主旨だったからです(笑)。
*
今でこそ。
クリスタルには、
意味を知る楽しさや、
自分で選ぶ楽しさや、
選んでもらう楽しさや、
自分で選び&作る楽しさや、
自分を知る&感じる楽しさや、
他者を知る&感じる楽しさや、
「色んな楽しさや、楽しみ方があるよね!」
という、
ひとつのスタンスがあるのですが。
当時は
自己矛盾のように感じて
あれは…相当悩みました(笑)。
*
自分らしさ、
みたいなことを
突き詰めて考えていたこともあって、
「再選択することの助けになるもの=クリスタル」
というような図式が
頭の中にあった時期でもありました。
それこそかなり話題になった本
『選択の科学』を読んで、
「ええ!こんなに読まないと
選択することが難しくなっている人も居るの?」
「そんなに自分の感覚を信じるのが難しいの?」
と、激しいショックを
受けたこともあったのです。
*
この頃は、
Holly heal で
わたしのやらせていただいていることは、
本当に意味があるんだろうか?と、
自然な心のプロセスを
邪魔していないだろうか?
無駄なことをしているのではないか?
と、
疑問がわくばかりで、
ものすごく悩みました。
*
「アクセサリーだけで
食べて行くのは無理じゃない?」
という話もあって、
今思うと
アクセサリーのお商売は
色んな形で存在していますし、
そこはスルーしてよくて、
悩むところではないのですが(笑)。
当時は
認識していなかったことも沢山あって、
「じゃあ、
ワークショップを同時進行したらいいかな?」
と思って、
ワークショップシリーズを
再開してみたりもしました。
*
ところが!
始めてみると、
ワークショップだけでも
かなりパワーがかかることが判って!
アクセサリー制作をする
心身の余力が失われてしまう。
そして強烈なストレス状態になって、
「これ…だめだ、なんとかしなくては!」
と。そんな時期もありました。
*
当時ワークショップの定期開催を
バックアップしてくださっていた方々には、
本当に素晴らしい機会をいただけて
感謝の気持です。
*
ありがたいことに。
こうして、
Holly heal を
続けさせていただく間には、
その時々に
自分の中に出てくる
疑問や葛藤が沢山ありました。
眠れなかったり
泣いたりも沢山しました。
当時は今よりも
激しいコンディション不良が
日常茶飯事でしたし、
安定感に欠けることが
社会の中で不利にはたらくことや、
基本的には
致命的な要素なのも理解していましたから、
そこは今もですが…(苦笑)
やはり相当な葛藤です。
そうは言っても大企業で勤めた後、
フリーランサー時代には
何千万を稼がせていただけていたので、
出来たことだったのに…
仕方ないけれど…
どうして!!!?
という過去との比較から来る
自分への強い問いかけもあったと思います。
*
そういう
「出来なくなったわたし」
だから出来ることって、何だろう?
というのは、
かなり考えていたと思います。
(つづく)
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