2015/01/06
帳尻合わせ
夏位から近辺で、
SNSの乗っ取りなど色々、
インターネット経由の怖い目にあう人が増えました。
わたしも大分怖いなと思う今日この頃。
元々はネットワークに対する危機管理はある方だったし、
専門家の知り合いも居るので、
それなりに注意をしてきました。
メールアドレスの管理なども
細かくやっていた筈なのですが…
わたしって案外いい加減と言うか…(笑)。
*
余裕がなくなると
本当に情報は錯綜し始めるもので、
あれよあれよと言う間にカオス状態へ。
精神的に弱ってくると、
それがキッカケで疑心暗鬼になってしまったり…。
どうもこれは精神衛生に悪いなと思って、
年始にはApple サポートへお電話を!
相談した結果リセット諸々のために
今日は銀座のApple Storeへ母と行ってきました。
*
怖いのを放っておくのは無理!
無理なら解決のためにやれることを
素早くやるのがいい。
シンプルな動きではありました。
*
しかしまあ(笑)。
42歳にして
母に付き添ってもらってお出かけ…。
2007年の退院後…当時は35歳だったでしょうか。
その時も散歩も何も
付き添いがなくては無理だったので、
もちろん7年前は穏やかな場所でも
ビクビクしながら歩いていたので
今はずっと元気ではあるのだけれど…、
何度こんな状態を繰り返すのやら…と
我ながらガックリです。
「ふりだしへ戻る」的なガックリです。
*
キッカケは年末の29日。
久しぶりに
ちょっと大変なことになりました。
記憶も一部飛んでしまっていて、
気がついたら31日の昼間でした。
31日目が覚めると、
自分のお布団で寝ていました。
久しぶりに深く眠ったなという清々しさと、
その前の記憶が曖昧過ぎることへの恐怖感とで
さーっと青ざめる気持ちになりました。
それでも、
この夏の入院騒ぎから諸々変化はあって、
ここで入院になっていないところが
大きなポイント(笑)!
心がよわいんだか、つよいんだか(笑)。
自分でもよくわからないです。
*
おかげさまで今回
意識の安定は早かったのですが、
心がギリギリまでいって
戻ってきたばかりというのは、
不安感が強くなり過ぎていて、
簡単にキャパオーバーしやすいです。
きー!とか、
内心きゃー!!!!とかなりやすいですし、
色んなことが無駄に怖くなったりして、
今日は久しぶりの遠出で、
クタクタになりました。
*
何かの病気なのでは?というのは
わたし自身も長年
自分を疑ってきていたことなのですが、
去年の入院中に
色んな検査をしていただいて、
結果オールクリアとなってからは、
「過度に繊細な心と、弱っている身体」
「めんどくさい人なんだな、わたし」
というところで、
一応の納得はしている状態です(苦笑)。
*
会社に入社したばかりの頃は、
「さやかはポーカーフェイスだから判らない」と
人事の先輩から言われていた位、
感情が顔に出にくかったようなのですが、
2005年から始まった
心身の変化プロセスの間に、
徐々にそういった
覆いが取れていったのでしょう。
いつの間にか、
パリパリンと割れそうな弱り具合で…。
それを何とかしようとするために起る、
過敏さと緊張感を持て余します。
*
無理をして…
無理していることにも気がつかずに、
スピード感のあるやり取りに慣れていた時期があるので、
今のこの状態は一体何だろうなあ…と思います。
わたしってこんな細やかさを、
どこか誤摩化して生きていたんだなあ…
というびっくり。
自分で俯瞰しても、
明らかに幼いですし。
小さな子ども時代に置き忘れていた
感情の葛藤が表に溢れてきて、
感情と共に心のダムが欠壊している感じです。
*
心の仕組みだけを考えるのならば
こういう幼さの発現は
健康な心身を取り戻すために、
基本程にはウェルカムです。
でも、自分の年齢とか、社会性とか、
それこそ周囲の人とのやり取りを考えると。
ある側面で
急激に子ども化してしまう自分の幼さと、
知的に物事を理解して昇華していく
これまでの訓練された側面とのギャップがあり過ぎて、
ものすごい葛藤になります(笑)。
*
葛藤を
自己否定してもストレスが溜まりますし、
それは更に自体を悪化させるのは、
これまでのお仕事柄よく解っていたりします。
そうなると
周囲には聞き流してもらうしかないし、
笑い飛ばしてもらったり、
共感してもらったり、
結局。
安全に早く越えていこうとすると、
幼く感情的な部分は
受け止めてくれる誰かの力を借りて
乗り越えていくことになります。
すっごい、はた迷惑(笑)!
*
それでもお友達が居てくれるという
現実があって、
「そんなの、中々ないぞ」と
色んな人から言われるような、
本当にありがたい状態ではあります。
男運ないんだけど(笑)、
お友達運は
相変わらずの絶好調なんですよね(笑)。
*
ああ、どうして小さい頃に泣きわめいて、
嫌だ〜!!!とか
買って〜!!!とか
怖い〜!!!とか
出来ない〜!!!とか
もうやだ〜!!!とか。
思いっきり表現して来なかったんだろう?
そこで感情を発散する体験を…。
そういうわがままを言っても
大騒ぎをしても許されるという、
そういう体験をしてこなかったんだろう?
なんで手のかからない子を
演じてしまったのだろう?
という気持ちになります。
*
わたしは
自分自身の家族をもった経験がないので、
尚更その
幼さを抱えたままなのだろうなあと、
周囲を観ていて感じつつ。
でもだからこそ理解出来るのだろうなと
そこはこれまでの仕事柄…
比較的冷静に感じつつ。
この「子どもじみた自分」の、
「内面のある部分」を興味深く観ています。
*
帳尻合わせ…ってありますよね(笑)。
幼い頃に出来なかった自分の感情的葛藤を
今表現して、
でも今からでも。
ちゃんと根っこから解消してみよう
とする自分。
はた迷惑だけど、
シンプルな取り組みではあって。
お母さんと子どもを
自分1人で経験しているみたいな
なんだかもう…謎の状況です。
*
親しい人には相変わらず鷹揚な口をききつつも、
それでも弱ってるよねと
どこか容赦してもらいながら。
みんながそれでも、
社会でのポジションをキープしながら
がんばっているのを横目に、
相変わらずわたしは
リハビリへの逆戻り。
*
ものすごく幼い側面を残す
自分の心と、
どうやら2歳児程度の神経系統の繋がりらしい
自分の身体とを、
コツコツ
年相応へと立ち上げていくしかないよね…。
仕方ないから、
それしかないから、やるけどね!
という気持ちでいます。
そういう…新年の始まりです。
*
歪みはいつか解消されるのを待っている。
*
そう思えば。
これは健全な
帳尻合わせなのだろうな、
とは思っています。
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