2015/01/09

わかり合えることは、大事ですか?




















今年からは、
一旦自分のことだけを。

そう思って過去に向き合いきれずにいた、

感情を感じきれずにいた辛過ぎたことに
コツコツ向き合っています。

自己洞察が深過ぎる
と言われていることの弊害でもあるのだけど(笑)、

どうにも不器用な性格で、

ひとつひとつ丁寧に涙を流したりして
感情を昇華しないと、

いつまでもいつまでも、
辛いことを繰り返してしまうのです。

 *

ショックの強いことがあると
記憶が飛んじゃったりして、

平常の生活をするのが難しいため
仕方がないのですが、

平日の朝っぱらから夕方まで!

過去の記録なども読みながら
じわーっと内面と向き合うなんて、

わたしはなんて生活をしているんだろうな…と
思ったりもします。

見た目には
こういう壊れやすさは観えにくいので、

尚更。

まあ、そういう葛藤もありつつ。

どっぷりと近視眼的に、
内面的な生活をしています。

 *

今日は、

わたしに
Holly heal 最初の雑誌掲載のチャンスをくださった

吉野ユリ子さんのBlog を読んでいて、
ああ、すごく良いことを書いているなあと思ったので、

ちょっとシェアをさせてください。

絶対に分り合えないと知るという、愛。

 *

その後に彼女と交わしたテキストを見ていて、

自分でも、
思っていたことが文字になった感があるので、

続けて書くのですが、



「解るなあって思うんですよね。

あ、それわからない、どういう意味?

なんで?

って聴くと嫌がる人もいるんだけど、

解らないっていうスタンスは、
わたしも寄り添うってことだと思ってやってるなって思う。

コンテクストを理解しようっていう在り方は、
めんどくさいって思われるかもだけど、

相手を観てる証拠かなって思ってるかも。」



「だから時折、あ、この人解ってくれた!って感じる

「それわかる」が来たら、
びっくりして感動するんだよね。

あるからね、そういうことって。

違う視点から観えている世界を感じる時も、
わーって思うよね。

同じ世界に同じ時代に、生きてるのに、
そんな風に見えるんだ!っていうのはいつでも面白い。

そうやってお互いに違いを解り合えるような人、
ずっと探してるよ(笑)。」



「みんなの中に、
解り合える部分と、違う部分が絶対にあるもん。

違うのは面白いんだけど、

面白がれる人と、
説明し切ってくれる人ってなかなか居ないよ、

わたし理解遅いから(笑)。

スタンスとして、

違いを解り合いたいねって思えてる前提で、

1番近い関係が作れたら、
1番楽かなって思うだけかも。

違ってていいと思ってるんだけどね。

共有事項の多さに目が行きがちかなって思って。
違うのに、

わーこの人大切って思ってたりする現実の方が、
ものすごく奇跡なんだけどなって思うから。」


 *

なんて。

 *

わたしは昔、
とにかく理解されたくてされたくて、

切望のあまり、
10歳から心理学的なことを勉強し始めました。

でも、30代になったある時。

「こんなに理解してくれる人が居るなんて
びっくり!」

という経験をした上で。

その方からサラッと、

「人のことは解りませんからねえ…」と
言われた事があります。

その時に、

何でそんなに長年思ってきたことを
素直に納得出来たのかも謎なのだけど、

「え!他人のことは
理解出来ないのがデフォルトなの?!」

とものすごく衝撃を受けたのです(笑)。

 *

「解ってもらえない」ではなくて。
「解らないものなんだ」。

というスタンスで
その日から生活を初めてみたら…。

その割には、
解ってくれる人が居るな…という

逆の驚きが結構あることに気がついたのです。

解らない筈なのに、
解ってくれたと感じることがある。

それはもう、
すごく衝撃だし、喜びだなあ!、と。

わたしの内面世界は
その頃から刷新されたのでした(笑)。

 *

去年の夏頃。
後輩達とランチを食べて居た時に、

何かの話題で疑問が浮かび、
いつもの調子で

「なんで???」と聴いたら
「さやかさーん…」と微妙な微笑みを返されました。

その時に初めて、

(ああ、なんで???という訊き方だと
責められているとか別の聴こえ方になっちゃうのかな?)

と思ったのだけど。

それはシンプルに

「今の言葉だけだと
あなたが何を言おうとしているのか

わたしにはハッキリ解らないから、
説明して欲しいの!」

という意味だったりするなあ…と思って。

ああ、言い直しておけば良かった〜!
と、今頃思います。

 *

我ながらめんどくさい人って
思われるだろうなーと思うのだけど、

どんなに長い付き合いでも、
人って日に日に更新されているし、

立ち止まったり悩んだり葛藤したり、
振り出しに戻ったり、

色んなことがあったとしても、
変化していくものだよね?

という前提が、わたしにはあります。

 *

「解る」「判る」「分かる」というのは
瞬間的なことや側面的なことであって、

相手の全体像はいつも
解らないことの方が多いよなと、思っていて…。

人って、身近であればある程、
知り続ける面白さがあるな…と(笑)。

変わっていくって面白いなって、
すごく思うのです。

現に結婚して40年を越える
両親が先日、

「えー!そんなこと思うんだ!」

みたいな会話をしていて、

そういうものだよね(笑)。
と思いました。

 *

一緒に楽しめる「共通項目のある人」は

お友達としてもちろん楽しいから、
ウェルカムです。

でも、全てが同じでぴったりだったら
気持ち悪いかも?と思うのです。

違うから面白いし、
解らないから知りたい。

違うよね、
結構違うね

みたいなところから

知り合えたら
楽しいのになーと思います。

 *

「違う筈なのに、
似ていることがある面白さ」として捉えたら、

全てはかなり面白いことです。

「わかり合えない」っていうと、
昔は大分寂しい気持ちになっていたのだけれど、

「違いをわかり合いたいね」っていうと、
心にフィットします。

言葉は不思議です(笑)。

 *

そうやって
自分のキャパシティを広げていけたら、

仲良くなれる人が増えるんじゃないかな?
と思うし。

わたしはどうも親しく感じた人達への言葉が
極端に幼く下手みたいで、

「なんで???」
「どうして???」
「それってこうじゃなくて???」

みたいになってしまうので、

それが反論みたいに
聴こえる人も居るのかも知れないのだけど(笑)。

わたしはいつも

「自分が今思っていることは、

現状自分が知ってきたことの中での
自分なりの答え」

という風に思っていて、

絶対的に正しい、とは
露程も思っていなかったりします。

 *

ディレクターにせよ何にせよ、
細部まで判断する立場に居たことが多いこともあり、

その時々に結構言い切るので、
この人に言っても仕方ない…とか

思われてるかも知れないのだけど(笑)、

わたしは意見を言ったら

「それについてあなたはどう思うか教えて?」
というのを

いつも思ってきています。

 *

日本だと、

意見を言い合って、
その後に結論を出す

と言うコミュニケーションは
比較的馴染みのないものだから、

そこは、
強く言わないと通じないんだなって、

今日!
初めて気がついたわたしでした(笑)。

 *

自分のお友達の
誰を観ていても思うのだけど、

違うから面白いです。

何でそんなにそれが好きなのか解らないけど、
あなたがそれをすごく好きなのだけは解る。

みたいなのとかは、
本当にその瞬間に遭遇する度に、

「全然解らないけど、本当に好きなんだね〜!」
と言いながら大笑いしちゃうし、

お友達が好きなものを
「好きなんだ!」って話しているのを

観たり聴いたり読んだりしていると、

この人には
それがこんな風に魅力的に映ってるんだなあ、

というのが面白い。

そして、

「ああ、そうかそういう感動ってあるね!」
と共感出来るものは

自分の世界に取り込めます。

それによって自分の内面は、

彩りが豊かになるのですから
すごく楽しいです。

 *

共感はもちろんうれしいし、
受容はされたいです。

でもそれは

違いがあるからこそ、
心に響く。

すごく面白い。

同じだったら話しても仕方ないかもな…と
思うこともあります。

 *

興味があるなって思うのは、
違うから。

違いをわかり合えることは、
とっても面白いです。





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