2015/01/04

安心に欠かせないこと




















安心に欠かせないことって、
不安を伝える努力にかかってるのかも…?

そんなことを思った、今日。

 *

インターネットなど始まる前から、

クレジットカードも
ポイントカードも、

個人と紐付けされている
あらゆるカードは

記録媒体として個人情報を追い続けているし、

今やGPS で
個人の居場所もある程度特定可能となり、
危険を与えることさえ出来る時代。

過剰に防衛反応をしていたら
ツールを使うことは難しいし。

とはいえ、
最低限の個人情報は守りたいけれど。

それは実際どこまで可能なのかな?

…そういうことを考え始めると
疑心暗鬼で身動きが止まってしまうような。

そんな現代。

 *

不安だったり、
怖かったりすることを、

わたしは素直に言えずに大きくなったなあ。
と思うのですが、

それは聴いてもらえるという
環境が見出だせなかったから。

 *

わたしは聴いて欲しいけれど、
相手の悪口を増幅したい訳でもないし、

ましてやそれを広めたい訳でもない。

だけど、

感情を落ち着けて
違う視点を見出だすために、

納得するための涙を流すために、

誰かを必要とは
いつもしていたのではないかなあ…と思うのです。

 *

この10年。

わたしは2005年のある日から、
コミットしたことをやり続けていました。

ちょっと大げさに言えば公約通りに、

年末にこれで終わり!と思えたこと。
自分の中で大きな一区切りを出来たこと。

そういうのがあって。

今年は自分の不安感や
弱ってしまっている心身のケアを、

初めてそれだけを
本気でやっている状態です。

あくまで、

「さやか」という個人として
個人的に抱えている、

普遍性との関連など
どうでもいいようなことを。

 *

今までだったら言えなかったこと。
親の前では泣けなかったこと。

色んな自分自身の縛りを解いて、
本音で向き合っていくうちに。

当然わたし自身も変わりますし、

人の流れも、関わり方も、
どんどん変化を帯びていきます。

 *

わたしが求めていた理想のポジションから
話を聴いてくれるのは、

ある意味カウンセリングの基礎教育を受けている
お友達達だったりもして、

その日のうちに会いにきてくれる人が居たり、
メッセージを送ってくれる人が居たり。

ありがたい限りなのです。

 *

わたしはずっと聴き続けて来たというのに。

いつもなら聴ける話が
聴けない位追いつめられていて、

まずわたしが聴いてもらうことから始まったり。

心に沁みることもあって、
泣けてきちゃったり。

それに相手が、
逆に感動しているのを感じたり。

ああ、なんて自然なんだろう。

わたしはもっと
不安について話せば良かったんだ。

おかしいと言われても、
普通じゃないと言われても、

わたしの気持ちを話せばよかったんだ。

自分の不安を解消しないで圧し殺してきたから、

こんなに怖くなるところまで
来てしまったような気がする…。

そんな風に思って。
気持ちにまた少し余裕が出来るのでした。

 *

こういうことが起っていて不安なので、
こうしたいのだけど、可能ですか?

という公共機関とのやり取りも。

正直に誠実に、
切実にきちんと話さえすれば、

相手も出来る精一杯で
応えようとしてくださるのを知り。

すごくホッとしたり…。

お友達にも、
状況と気持ちをしっかり話さえすれば。

それに対して
思うことや感じたことを

わたしを気遣いつつも、
自分目線で言ってくれる人や、

立ち位置を定めて明示し、
ここからだったら聴けるから、

いつでも話してくれていいよと
扉を開いてくれる人が居たり…。

それは、

いずれもわたしがこれまで
誰かにさせていただいてきたことではあるけれど。

こんなに助かることだったんだ!

という気持ちとともに
わたしの元へやってきてくれたのです。

 *

不安を伝えることと、
安心を得ることは。

セットなのかも知れないな、と。

そしてそれを解消しようとしてくれる
お友達が、

わたしにはもう居るんだ!という事実。

どっちもありがたい限りです。

 *

身体の感覚が消えていたことで
感じようのなかった

痛みや傷が再び見え隠れしている昨今。

しんどい気持ちになる反面。

自分がホッとするために必要なことを
自分にさせてあげられるようになったことは、

自分にとって、
すごく幸せなことです。

 *

お友達に、
しんどいから話を聴いて欲しいのと連絡すること。

しんどいという話をし続けているうちに、

相手から「お茶する?」と
言ってもらえることもあるんだということ。

相談してもいい?と言ってみること。

「いいよ、時間作るよ」と
返ってくることもあるんだということ。

ダメッて言われることに傷つき過ぎて、

その繰り返しから想像力か欠如して
ビクビクしていた自分が、

みんな忙しいということを
よく理解している

今自分のとれる気持ちには幅があること。

それは大人になって良かったなー!と
思うことだったりすること。

色んな幸運が重なって、
そうやって今。

 *

お友達とのやり取りに。
以前よりもずっと温かいものを感じられる。

出歩ける場所は限定されているし、
無理したらあっという間に逆戻りするし、

ものすごく近視眼的な生活をまた
やらざるを得ないのだけど。

でも。

それって、

この温かさって、
奇跡みたいだな…って。

幸せだなって。

思えるのでした。



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