「星の旅人たち」という映画は、
ただ、
歩くこと、出会うことから生まれる
「規範正しく生きることの反動」を
そういうことは、
大事なのは、
「その後どう出来るのか?」
なのだな…と思ったのでした。
シンプルな物語です。
物語の原点は、
削ぎ落としてしまえば、
どれも「ここから」なのかも知れませんね。
*
自分が何らかの理由で、
自分の足でそこまで歩いていって、
そこで誰かと出会って、
生まれるものだなあ…と思います。
それがカミーノ・デ・サンテイアゴという
スペインの巡礼の道であることで、
「道」の意味も、
「出会い」の意味も、
深まり文学的になっている気がします。
*
とにかく観る度に違うものが観える映画で、
わたしはこの映画程、
その時々の心象がここまで違う映画は
今までに全くなかったと感じています。
「世界の真理」は、
とてもシンプルだからこそ、
その「シンプルなもの」には「多くの解釈」が成立する。
そういう意味でも、
深い「物語」のある映画です。
*
昨日は、
「規範正しく生きることの反動」を
観る思いがしました。
規範というのは
そもそも内側から溢れるものではなく、
その多くは何かを制御するために
規律や戒律といった
「外側からの強い強制力」によって
生まれてくる側面があるのではないか?
と、思えてしまいました。
決まりを守るのは大切なことだけれど、
自分が
自分自身の判断で、
大切なものとして「受け取る」までは、
それは
強制的で抑圧的なことになりやすい。
自分で「これは大切なこと」だ
と納得するのは、
いかに大事なことか、と思います。
決まりを守るのは大切なことだけれど、
自分が
自分自身の判断で、
大切なものとして「受け取る」までは、
それは
強制的で抑圧的なことになりやすい。
自分で「これは大切なこと」だ
と納得するのは、
いかに大事なことか、と思います。
(東京都教育委員会が発行している
*
規範を大切に生きることを
自らが快く受け容れている場合は、
他者がそれに従わなくても
笑っていられる気がします。
笑っていられる気がします。
自分の中にその抑圧が在ればある程
そこに気がつかないうちは、
その抑圧は知らず
他者への強制的な矯正となって現れるのではないか?
と、当時に。
それが自分自身への強制である以上、
それが自分自身への強制である以上、
何かのキッカケで
規範を保つ「自我(mind)」が失われた時、
「抑圧を受けていた自分そのもの」に
自らが出会うのだろうな…と。
*
そういうことは、
あってもいいことだろう、と思います。
むしろ出会えた方がいいとさえ思います。
それが誰かへの甘えであれ、
他者への感情的なあらゆるものであれ、
自分の根底に潜むものと対峙して
それを味わった時に初めて越えるものはある。
大事なのは、
「その後どう出来るのか?」
なのだな…と思ったのでした。
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