2015/01/08

傷心との接近遭遇




















過去にあった出来事を
やっと振り返れる時、

引き寄せられたかのように
現実も大変だったりします…。

本当に深く深く傷ついたものを
乗り越えるのって、

もうちょっとサラッと楽にいかないものなのか?
と思うのですが。

自力でやろうとすると
極めて難易度が高いです(笑)。

 *

久しぶりに手書きの日記帳を取り出して、
書き出してみています。

今の自分の視点から観たら
変だなあと思うこと。

今の自分の感覚したらしたら
それはちょっと!と思うこと。

意外とその時何だか判らなくて、

素直に受けとってしまっていた
色んなことが再定義されるので驚きます。

 *

でもこれ…。

今だからようやく向き合えるようなことなので、

それはそれは、
しんどかったことだったりもして。

抑え込んで蓋をして、
ある意味鮮度を保ってしまったがために、

…本当に泣けてきます。

 *

たった人、一人を好きになるって、
すごい事だなと思います。

大切に想い続けた時間って、

その全体像が
自分にとってどれだけ悲しいものだったとしても、

自分の中では
大切なものなんだなあ…ということ。

パッと切って捨てるようには
とてもいかないことなんだな…っていうこと。

そういう気持ちと一緒に戻ってくる、

当時感じられなかった
自分自身の感情が溢れてくると、

ショックが大きくて目が回ります。

 *

自分の記憶力にも呆れるのですが、
当時のお友達がそれについて言った言葉、

意味が解らなかったままのこと、
その当時の自分の感じていたこと。

部屋の光。
情景の中にある空気感や温度感。

映画の回想シーンみたいに
過去が今に押し寄せてくるので、

ちょっと気がおかしくなりそうです。

 *

自分の中にあった、

それまでの「自分ルール」を変える
キッカケとなった出来事の重さも同時に理解したり。

酷いことをされた!という
感情的な波が落ち着くにつれてやってくる

ある種の自暴自棄が引き寄せた
出来事だったのかも知れないなという、

意識の中での、
自己責任へのバトンタッチ。

大学時代のお友達が言ってくれた
「喪の作業」という言葉のリフレイン。

心の中で終わらせるための時間が
ようやく今始まったんだなーと思うと、

どれだけ深く傷ついていたのかな?
とゾッとしたり。

観ることさえ難しかったんだろうな…と
思ったりします。

 *

今日の夕陽は

驚く程美しい
ゴールドからオレンジへの

グラデーションでした。

色彩心理で言うなら、

ゴールド(蜜柑みたいな明るいオレンジ色)は
腹落ちする感じだったり、
お腹から笑えるような感覚の喜び。

オレンジは、
時間軸の中に置き去りになっている
痛みの解消。

喜びへの復活みたいな色彩。

いずれにしても喜びの領域が
陰に反転してしまっているのかもなーと。

それは、…大分悲しいなと思います。

 *

「すぐに次の彼を作れば、回復するよ〜!」
なんて20代の頃は言われていたし、

そうかなと思っていたのですが。

わたしはそうやって
痛みを忘れていけるタイプの人では、

…全然なかったみたいです(笑)。

人生に彼と呼べる人は2人だけですが、
次の人との関係が終わった後、

なんだかんだ自分を楽にするのに。
痛みから少しずつ楽になって落ち着くまでに。

つき合った年数と同じ位の時間がかかっているのだから、
困ったものだなあと思ったりします。

 *

何であんなにしんどい目に
次々とあったんだろうなあ…と思います。

どうしてそういうところから
逃げ出せなかったんだろうなあ…と。

おかしいなあと思いながら、
どうして見つめ続けたんだろうなあ…と。

そして、

きっとその時は
その人のことだけを観ていたからだろうな。

と思います。

悪口みたいに思われたり、
尾ひれをつけて言いふらされたりということが

幼少にあり過ぎて、
誰にもちゃんと相談が出来なかったのも

理由だったと思います。

それはやっぱり、
好きだったから、ということ

なんだろうな…と思います。

 *

記憶が身体に残っていると
もうそれは情報量として膨大過ぎて、

恐怖感があるので記憶の再生が難しくて、

再生がないと
本当の意味で越えるのは難しくて。

再生されている時に、
ああ、今のわたしは安全な場所で生きているね、

といった現実感とのやり取りが
1番効くのだけれど、

ちょっとした呪いみたいに、
これらの感情は扱いにくい…。

 *

わたしにとって感情は、
そのまま創作に繋がる大きなエネルギーでもあるので、

どうしても丁寧に扱ってしまいがちで。

そしておつき合いしてきた人については、

20代のわたしとして真摯に
向き合っていこうと、

覚悟をしていた人達ではあったから、

自分のまじめさや不器用さが
徒になってる気はしつつも、

ひとつひとつ越えるしかないんだよなって思います。

 *

ただ、
やっかいなのは。

あの時期のわたしは
どうしても部署内の人間関係が理解出来なくて、

自我喪失を意図的にして居た時期だということ。

それでは「恋愛と呼ばれるもの」が
本来出来る訳もなくて、

じゃああれは何だったんだろうな…と
思ってしまう自分がどこかに居るのもあります。

意識は身体とは別のところに居て、
いつも緊張状態をキープしていたと思うし、

身体は意識に放置されて、
痛い目に遭い続けていたと思うのです。

 *

働き過ぎて顔に血豆が出来ても、

眠れなくても、
食べられなくても、

生きていた訳なので。

 *

元々の自分が生真面目過ぎるところで、

こうやって
ひとつひとつ清算をしていくことになるのは

どうしようもないことかな…?と思いつつも。

もうちょっと、

逃げたり誤摩化したり出来る自分だったら
良かったのにな…と

思ったりはします。

(過去に逃げようとして
大失敗してから逃げるのは諦めています・笑)

 *

うわー、もう本当にめんどくさい人だわたし!
と思ったりするので、

ものすごく
自己嫌悪になるのですけれどね(笑)。

でもここまで過去の記憶に
今も振り回されていると、

今から始まるものも始まらないのだよね…、
ということもさすがに知ってはいて(笑)。

全てが過去のリフレインに観えてしまうという
フィルター満載の視野では、

深呼吸するのさえ…かなり大変なのです。

 *

モスアゲートを時折触ったり眺めながら、

頭を抱えたり、泣いたり、
お友達にメールしたり。

そんなここ数日です。


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